うどん

きろく

存在すら忘れてた

 

なにも投稿してないのに

毎日アクセスが数件あるのはなぜなんだろう

 

 

けど今日急にバッド入って色々考えるとこがあって思い出した

 

小さい頃から、なに考えてるか分からないって言われることが多かった

特に気にしたことはなかったし、他人の考えなんてわからなくて当たり前だと思ってた

 

でも今思えば、相手が自分に対して期待する言動がなんとなく想像(予測)できる時は

本質的にはあってるけど、若干ずれた言動を意識的にしていたような気もする

 

だとしたら、他人の考えが分からなくて当たり前というのは、なんだか違う気もする

 

賢いとかそういう類の言葉をたくさんかけられてきたけど

比較的頭が良いからだにうんでくれた親のおかげもあって、のらりくらりと期待に応え続けてきてしまったのがよくなかったのかもしれない

 

期待されることは良いことっていう感覚がない

期待するってことは、相手に対して努力を強制するようなイメージ

 

いや実際は強制力なんて微塵もないんだけど、期待に応えられなかったとき、

相手は落胆するし失望するのが目に見えてるし

 

やっぱりやらざるを得ないよね

 

それがずっと続いた結果、他者からの期待っていうのが

自分の言動を強制するものになっちゃったんだろうね

 

相手に失望されないために、賢い自分を演じるのは限界があるね

今までで一番とか、そういうのがいちばん嫌

 

社会には自分よりすごい人しかいないなんて分かってるのに

なに?ってなる

 

でも、自分へ向けられた期待値のハードルを下げるのって難しくて

あれ?こいつ実は大したことなかったな…みたいな

落胆と失望は伴うのよね

 

落胆と失望をされないために期待に応えてきたのに

期待に応えつづけるのはしんどい

 

かといって、今まで相手の期待する自分自身で居続けたせいで

いわゆる本来の自分みたいなのはもうわからない

 

なーにやってんですかね